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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第178号       ’03−07−04★

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     高齢者問題

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  *高齢者(65歳以上)人口約2400万、うち75歳以上が

   1千万、高齢化率(高齢者人口/総人口)18.5%、、、

   (昨年10月1日時点)  <高齢社会白書/6月10日>

 

  *見回して思うが、<幸せな高齢者>は多くない。 これから

   幸せの度が高まって行く、とも期待しにくい。 「子は親の

   鏡」、その人たちの子孫もまた、幸せではあり得まい。

 

  *幸せの定義にもよるが、その追求は生きる者の権利、同時に、

   他の人々の幸福に貢献することは義務です。 高齢者問題は

   突き詰めると、高齢者自身が問題、という問題かも。

 

 

●いずれ誰でも死ぬ、

 

そして平均的なら、その前に長い<老い>がある。 長寿国日本の定番

コース。 さて、どんな高齢者になろうと考えていらっしゃいますか?

 

 

ピンピン元気で過ごし、ある日コロリと行くのがサイコー、と信じる人

が増えています。 が、後始末する/させられる者にはそうでないかも。

60歳の父にそのサイコーをやられた時、私は25歳。 業務引き継ぎ

一切無し、言いたくないがそれはサイテーの体験でした。 そのため

 

<晩年>については比較的早くから考え始めたわけですが、良い実例が

見当たらなかった。 家族制度のタガを外したのが運の尽き、でしたな、

この国。 ヒントを得たのは8年後、初めての欧州旅行中、

 

*   *

 

アムステルダムからの列車に乗り合わせた<高齢者>たちに、<威厳に

満ちた幸せ>とでも言うべき雰囲気を感じた時、でした。

 

欲張った視察日程をこなすのに夢中で、高齢者と過ごす機会は本来無い

のですが、そこは身動きままならぬ対面座席。 長時間言葉を交わさず

にいるのはむしろ不自然。 よし、喋ってみるか、、

 

ところが、準母国語と聞いていたほどには英語が通じない。 やむなく

ジェスチャーで補い、あるいは紙に書いて示し、互いに知恵を尽くして

<家族>を語り合いました。 そして痛感したのは、彼らにおいて

 

<長幼の序>が重んじられていること、<高齢者>が自信に溢れている

こと、<家族>の結び付きが強固なこと、など。 昔は日本でもそれが

普通だったんですがね、、 

 

車内にはほかにも何グループか家族連れ風のがいて、いずれも穏やかな

幸せの雰囲気。 社会的動物たる人間の<あるべき姿>、、

 

*   *   *

 

折しも冬、みんな厚手の服でしたが、子の服よりは親の服、親のよりは

その親のがより上質、よりドッシリ、、いわば目視可能な<長幼の序>。

中でも靴は特別、老人たちのはアイロンみたいにゴツかった。

 

重くないの? 「年取れば足腰が衰える。 鍛えるには重い靴が、、」。

なるほど、何とでも戦って克服するんだ、この人たちは。 その表われ

と言うべく、体格、姿勢、眼光、、 <高齢者>の方が頼もしいくらい。

 

  我が国では逆、老人用の靴は<軽さ>がセールス・ポイント。 私

  は朝晩各30分、足首に1キロのウェイトを巻いて散歩しているが、、

 

実はすでに街で、少年よりは青年、青年よりは大人、歴然と<厚み>が

増す人たちだ、と気付いてはいたのですが、この車中の会話でも(男女、

傾向は異なれど)<高齢者>ほど鋭く要点を衝くところが印象的、

 

<ただ年を取った人>たちじゃない、と頷きました。 それまで職務上、

年長者との付き合いが多かった私は、その体験から、人間は年を重ねる

につれ(亡父は稀な例外)嫌み、意固地、意地悪、、

 

具合悪くなるばかりの困った存在、と見るようになり、彼らを(尊重は

したが)尊敬しなくなっていました。 その先入観をオランダで改める

ことになるとは予定外でしたが、 

 

<視>て<察>するための旅、でしたから、これも一つの成果。

 

*   *   *   *

 

<威厳>、<幸せ>、<頼もしさ>、、 それらの共通要素は<厚み>、、

じゃ<厚み>とは、、と考えて、結論は<蓄積>。 文化的蓄積、経済

的蓄積、人間関係的蓄積、家族的蓄積、、 

 

ヨーロッパにはそれがありました。 較べてコチラは蓄積が薄い、蓄積

を重んじない、また、許さない。 <石壁と紙障子の差>とか申します

が、すべてに薄手。

 

家族的情愛も当時すでに薄っぺらになっていましたが、高じて今問題の

<少子化>に至ってはもはや<蓄積努力の放棄>。 誰があんたの面倒

見るんだ?▼と訊きたいくらいです。 この半世紀、

 

 ▼かつて会田雄次教授の英国福祉視察記に「老人たちを世話するのは

  肌色の違う人々。 あんなのが幸せとは思えない」とありましたが、

  経済的蓄積が無きゃ、それすら望めないわけで、、

  

  と書いていたら6月29日のNHK、<地球市場・富の攻防/6>

  人材供給大陸、<狙われるアフリカ人看護師>。 その実態や影響

  をつぶさに見せてくれました。 英語は通じないし、医者は差別的

  だし、この国には来てもらえないだろうな、、 前途やや暗澹。

 

ハイテクや経済の発展とは逆に人間性は低下の一途、無惨な殺傷事件や

破廉恥な行為が絶えなくなりました。 それにしても高齢化社会は地獄、、

 

たとえば先頃の八尾市の事件、、

 

**********

 

 

●貧困と障害に喘ぎ、

 

つい金を借りた、、のが間違い、相手が悪すぎました。 違法超高利と

脅迫電話に精魂尽き果て、高齢者3人、肩寄せて覚悟の鉄道自殺。

 

同情しつつ我が女房民生委員、首を傾げる。 でも、何故ヤミ金なの?

行政には相談しなかったの? やがて追加報道の答え:ヤミ金に借りる

5日前、八尾市の生活援護資金5万円を借りていた。

 

5千円ずつ10回返済、その1回目は払い込んだ。 が、「残り9回は

払えません。 お許し下さい」と市長宛の遺書。 2回目5千円が払え

ないのに、後口のヤミ金には僅か1ヶ月で10万も払うとは甚だ不可解。

それも1万5千円の元金に対して、、 よほど脅されたのだろう。 で

 

警察に助けを求め、八尾警察は業者に電話してはくれた。 が、「その

件は終わっている。 勘違いでは?」でおしまい。 だったらこの老人

たちが助けを求めるわけ無かろう? とケーサツは切り込まないものか。

 

 TVで元ヤミ金、「相談したぐらいじゃケーサツは動かない」と平然。

 悪者の心理や手口を知ってるはずの警察が動かない、のはやはり怠慢。

 <桶川>もそうだった、ケーサツは見ても助けなかった、即ち見殺し。

 

近隣や身内にまで脅迫電話が入った、と言うが、だからみんなで警察を

動かそうとした、とは聞かない。 これも見殺し。 で、悔やんでいる

人がいる、とも聞かない。 そのツメタイ人たちにも

 

*   *

 

律儀な自殺者、クーラーは○○さんへ、など、家財を遺贈すべく張り紙

していた由。 そこまで細やかに心遣いできた人たちの選んだ自殺手段

が<鉄道>とは合点が行かない。

 

あれはたしか、巨額の補償請求が遺族に来るんじゃ? 本件では、それ

を誰が引き受け(させられ)るのだろう? 気になります。 しかも

 

無惨きわまる姿を人目に曝す死に方。 後始末は大変な迷惑、心ならず

も轢き殺す役を押し付けられた人には迷惑どころか後遺症も生じ得る、、

 

まで考える余裕、無かったんでしょうな、土壇場では。 しかしながら

生老病死は人間の必然。 迷惑を遺さない最期の遂げ方について、未だ

余裕のある内に考え、備えておかなくちゃ。

 

それが難しい? となると映画<ソイレント・グリーン>(118号)

の<ホーム>に類するものが要りますな。 我々の現実、陰惨なSFに

いよいよ近付いて来たようです。

 

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●サーモ屋を卒業して

 

職安の敷居をまたいだ時46歳。 いきなり「高年者は、、」と身の程

を知らされ、絶句。 <45歳以上>は当時も求人が少なく、面接まで

行けても「イメージに合わない」でペケ。 つまり

 

長らく努力して、あるいは無意識的に身に着けたもの、即ち<蓄積>が

むしろ妨げになる。 そもそも相手さんの抱くイメージがどんなものか

分からないが、分かっても(違っていたら)急には合わせられない。

 

高年者は新学卒者と異なり、知識、経験、外観、健康、、あらゆる点で

個人差が大きい。 成長段階では目立たなかった人間の<千差万別>が、

次元、方向、程度、甚だしくなるばかり。 私も例外ではなかった。

 

どんな職業であれその道での<蓄積>は尊いが、そのためクセが出る上、

専門分化と技術革新で必ずしも役に立たない。 オレはオレ、で通すも

良いが、<汎用性、耐久性のある蓄積>に心がけておく方が有利。

 

たとえば<考える力>の蓄積。 どこへ行こうと、どんな場面だろうと、

<考える>ことは山ほどありますからな。 <よく分かる>人になって

いれば、かなり役に立てる。 心身の健康に良く、外観にも表われる。

 

点と点を結んで線を紡ぎ出し、線を捌いて面に織り上げる、という頭脳

作業は肉体的パワーを要しない。 本来年齢無関係の能力だが、幸い?

我が国の教育は若者にそれを養わせない。 いわば<年の功>頼み。

 

 

高齢者は知的能力、経験、人脈などを活用せよ、とか、高齢者のための

受け皿を、とか<識者>は言うが、、 現実的可能性は大いに疑問です。

 

その<皿>が気に入る、その<皿>にピッタリ収まる、という高齢者は

滅多にいないし、自らを<皿>に合わせて変える高齢者はさらに少ない。

しかし自分専用の<皿>が自分で作れるわけではない、、

 

という現実を前提に少しでも意に叶った老後を目指すなら、一つの方法

は、どんな<皿>にも合わせられる自分、を作っておくこと。

 

もちろん思い付き的や場当たり的であっては<力>として身に着かない、

<型>にならない。 そこで、まず<型>を知り、それに用いて次第に

身に着けて行く、とすればムダが無いし、自己流の弊害も防げる、、 

 

*   *

 

19号以後何度か書いた<我が相棒N氏>はきわめて早く老成した人で、

<点をつないで線、線を交わらせて面>思考の人でした。 彼の助けで

20年、サーモ屋は大いに<考える>力を着け、社員を育てました。

 

その経験を生かし、第2以後はもっと<助ける>人生にしたいと願って

模索を重ね、幸い出会ったのが Rational Process。 これぞ<点から

線、線から面>の技法、その<講師>、、で15年、

 

  お陰で私は、未体験ゾーンにも恐れず飛び込み、速やかに適応して

  モツレた状況を解き、バラバラの要素をを整合・結束させ、、即ち

  <どんな<皿>にも合わせられる高齢者>になりました。 

 

合計35年の体験から、<フツーを超えた高齢者>になるための<型>

として Rational Process をお勧めして止みません。 ケプナー博士に

よれば、それは<人類の財産>、即ち蓄積の成果、

 

それを活用すればあなたの知的蓄積は増え、周辺を<助け>て人間関係

的蓄積を増すことが出来る。 どちらの蓄積も身に着いて邪魔にならず、

陳腐化する恐れが無い、、 おや、またCMになっちゃった。 しかし、

 

この世は <Give & Take>。 知的 Give は感謝や尊敬で酬われ、いくら

Give しても目減りしません。 元手のかからない<高齢化>準備対策。

 

<高齢者自身が問題>という問題の解消に、この技法は役立つでしょう。

                          ■竹島元一■

 

      ■今週の<私の写真集から>は、 ★朝の光★

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